バーフバリを観た【ネタバレ】
今更ながら話題の『バーフバリ伝説の誕生』と『バーフバリ王の凱旋』を2本同時上映で観てきた。
間違いなく今年1だ。
こんなにも鳥肌が立つ映画は初めてだった。1001回くらい鳥肌が立つ場面がある。終始、鳥肌。鳥肌がひいたと思ったらまたすぐに鳥肌!といった感じだ。
ストーリーは超ド王道を行き、複雑な物語展開や唖然とするようなどんでん返しを期待してはいけない。この映画は一切迷うことなく王道を行く。王の映画だけに。
インド版ハムレット。そんな話だ。
そのため先の展開がわかってしまうという事態が起こる。しかし全く気にならないどころか先の展開がわかるからこそ盛り上がる場面ばかりだ。
この映画のレビューに多いのは「迫力」を賞賛するコメント。そのあまりの賞賛ぶりに期待していったので正直そこまでという感じを覚えた。ものすごい古代戦争スペクタクルなんだけど、どこかの映画で観たような程度で、迫力がすげえ!!とみんながみんな言うレベルではないと感じた。
しかしそれでも迫力はすごい。
滝を登るシーンは56時間くらい観ていられるし、親玉バラーラデーヴァがふんぞり返って乗っていた草刈り戦車をたった一撃で破壊するバーフバリの場面も、親玉を倒す一撃で空中へ飛んだバーフバリの後ろで雷鳴が轟き、雲が父の姿になって浮き上がり、父子の正義の鉄槌がいま下る!という演出も見たことがなくて最高だった!
この映画の凄い所の1つに画の強さがある。シーンの画の強さ。かっこよすぎるシーン。思わずスクショしたくなるような画が連続する。こんなにかっこいい映画は未だかつて観たことがない。
物語は主人公バーフバリがひたすらに主人公補正で難題を解決していくといった展開。
それにしても父バーフバリが真の漢すぎて憧れる。
個人的には『王の凱旋』が好きだ。父バーフバリとカッタッパの喜劇のようなクンタラ王国編がとても愉快だからだ。姫のデーヴァセーナに恋をした父バーフバリが愚鈍な一般人のフリをする一連のシークエンスが終始筋肉映画であるこの映画に華を与えている。
観た人なら全員賛同してくれると思うが、クンタラ王国が敵に襲われ、さあいまこそ正体を現すとき!というシーンの父バーフバリとカッタッパが無双する展開はありきたりだけれど、だからこそ胸熱すぎる。
父バーフバリに勇気をもらい、己を奮い立たせ敵に立ち向かうダメ王子も素晴らしい。
宮殿の廊下でのデーヴァセーナの弓攻撃、追い詰められたところに駆けつけ、正体を現し三本の矢で無双する父バーフバリの姿をみて、恋に落ちるデーヴァセーナ。忙しいアクションシーンなのに父バーフバリを見るデーヴァセーナだけスローモーションで目もとろけていて対比が強調されて名場面。
相思相愛になり、妻を迎えたバーフバリだが、国母と対立する。妻のために王の座すら捨てる漢バーフバリ。
ところでこの映画で空いた口が塞がらないといった場面がいくつかあるのだが、首が飛ぶ2つの場面はその筆頭だ。
『伝説の誕生』で敵のボス、バラーラデーヴァの息子の首を跳ね飛ばした子バーフバリ。ええ首切るの!という衝撃。背後で鳴り止まない雷鳴。かっこよすぎる。
もう1つはもう皆さん大好きのあの場面、デーヴァセーナにセクハラしようとした最高司令官の指を切った罪で逮捕されたデーヴァセーナ(指を切るのもまた爽快)。妻が捕らえられ、普段は見せない怒りを宿してやってくる父バーフバリ。親玉バラーラデーヴァと最高司令官が共謀して裁判を勝ち取ろうとしていたところに父バーフバリがやってきて、最高司令官を威嚇する。親玉が威嚇をやめるよう言うと、脅さなければ真実を言わないと言い、妻になにがあったか問いただす父バーフバリ。明らかに怒っている。「列に並んだ。最高司令官は女性達にセクハラをしていた、私の番が来たので指を切ってやった」と相変わらず強気のデーヴァセーナに、「そなたが悪い」という父バーフバリ。いつも妻の味方だったバーフバリがそんなこと言うとはと思ったのもつかの間、「そなたが切るべきだったのは指ではない、首だ!」といって目にも留まらぬ速さで最高司令官の首をはね飛ばした父バーフバリ。王としての立場も、国母の信頼も、すべてを捨ててまでも妻を守る姿勢に男は学ぶところがあるように思う。そして痴漢をするやつは全員バーフバリに首をはねられればいいと思う。作中屈指のかっこいい場面である。
それにしてもデーヴァセーナが不憫すぎる。美人すぎるが故に大国の王位継承問題に巻き込まれる。男勝りな性格ゆえにトラブルを呼ぶ。愛した男についていったら捕らえられたり追放されたり夫殺されたり25年間捕虜にされたり。そんな彼女が最後の最後で火を灯す場面は悲願達成とはこのことだと思った。
この映画には伏線がたくさんあると聞いた。思いつくのは『王の凱旋』の最後のシーン、まぎれもないこの映画の最後のシーンで、『伝説の誕生』の冒頭で子バーフバリが持ち上げ、滝下に置いたシヴァ神を崇める石像(リンガ)。それが一連の壮大な復讐劇を終え、最後に映る。私はこれが伏線だったことに気づいた。
つまり、このリンガを滝下に置いた理由は、子バーフバリが毎日滝の上に登るのをやめてもらうために育ての親サンガがシヴァ神に祈るためにリンガを水をかけていた。リンガに1001回水をかけると願いを叶うといわれるためだ。しかしもう歳であるサンガが1001回も川まで水を取りに行ってリンガにかけるのは身体に無理があると案じた子バーフバリが、母の苦労をなくすため、「母のため」リンガを持ち上げ、滝下へ置く。これで1001回どころじゃない、未来永劫、水がかかるよと笑顔で言うバーフバリ。これは一見、サンガのためにやったバーフバリ、親思いの優しい男になったことと、筋骨隆々な男に育ったことを分からせる場面かのように思うが、願いを叶えたい人が水をかけなければ意味がないと村の老師は言っていた。つまり滝下に置いたのはバーフバリであってサンガではないからバーフバリが滝に登るのをやめさせるという願いがついに叶うことはなかったわけである。では、滝下に置いたバーフバリの願いが叶うことになるが、バーフバリの願いとはなんだったのであろうか。
劇中では一切説明はないが、前後との関係から見てバーフバリは「母のため」に滝下に置いたので、バーフバリの願いは「母を救う」、または「母に楽させる」類であったことが推測される。これは育ての母サンガのためにやったことであるが、期せずして「真の母」囚われのデーヴァセーナのことを救うという願いがシヴァに聞き届けられたという解釈ができるのである。
うまく説明できないが、サンガのためにやったことがデーヴァセーナのためでもあって、ひいてはシヴァガミのためでもあって、三人の母のためになったということが面白い。
現に滝下に置いたことで、滝の上から仮面が落ちてくる。その仮面のおかげでついにバーフバリは滝の上へ行くことができ、真の母を、国母の願いを叶える旅が始まるのだから。
まるで、願いは叶ったとでもいうように最後の最後でリンガが映る。
バーフバリ、今年1。